ベコの道 物語り
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馬喰二人、ベコ語り
野田塩ベコの道
直煮製塩の背景
野田塩の歴史
野田ベコのいわれ
ベコの道
直煮製塩の背景
野田塩の製塩も先住民族の歴史と共に行われたに違いないこの地方は気候や地形に恵まれず、塩田の発生を見ないまま、直煮法に終始し、製塩の歴史を終わるのである。
効率の良い塩田が、瀬戸内などで盛んに開発される時代にもめげず三陸沿岸で直煮製塩が、明治末期まで続けられた理由は、
三陸はリアス式海岸であり、豊かな塩木山が海近くまでせまり、海水を汲みやすい。
九戸地方の砂鉄鉱山は全国でも有名であり、鉄釜が安く手に入ったこと。
藩の多くは自給自足を原則として製塩を奨励するのだが、南部藩の生産量は不足であった。
野田地方は耕地も少なく、冷害を受けやすく、飯米の確保には製塩に頼ることが多かった。また、大葛(おくぞう)、万平(まんたいら)、下日形井(しもひがたい)、畑(はた)、種綿(たねわた)、玉川端(たまがわばた)には、大きな鉱山が経営され、その飯米を得るため、野田塩の必要があった。
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